昭和45年12月04日 夜の御理解
いまあの御祈念前に久富さんがお届をされますのに、先日あのご理解100節を頂きます。あの「めでた、めでたの若松様よ。」というあの御理解です、を頂く時に頂いたと言うとられますがね。サカイダ柿右衛門の作であるところの、白磁に柿の模様の入ったお知らせを頂かれたとこういう。皆さん御承知のように、もう13代から続いておる家柄でありますし、また年々代々ああして繁盛の一途辿っておるわけですが。
そのなら初代がどういう苦心をしたかと、言う事を色々ねあの柿の色を出すための苦心というものは、そりゃ並大抵の事じゃなかったであろうと、もうとうとう最後には、気違い扱いを皆からされた。同時にそれこそ薪が絶対必要なんですけれども、その薪を買うお金すらひとつなくなった。もう自分の家の柱までも、あの薪変わりに使ったというほどしのね、ま事実が残っておられるんですけれども。
本当にあのそうした、子孫繁盛、家繁盛の元をとるということなんか、本当にあの大変な事です。同時に、信心させて頂く者がその元になりますところ、その元になります所は、今朝からもお話頂きますように、「元日や、何はなくとも親二人」でしたかね、そういうようなところが、土台になると。元になるというかね。今日は朝からあの御理解を頂いてから、私ならあそこをどう読むだろうかて言うて。
まあ、久保山さんあたりは、もう本当にここ幾日かではあるけれども、私よりは毎朝、朝の御祈念に参って来よる、陽子さんがおかげ頂く。今晩の御理解なんか聞きよると、子供達までがおかげ頂く、繁雄さんが言われる事が、親父がちょっとおかげ頂くと、家族中がこうやっておかげ頂くと言うて、まぁ家庭団らんの食卓なんかを囲みながら、もう本当に信心を頂いておるおかげを、まぁ満喫しておると言うてから、今朝から今晩にかけてからあのお届けがあっとりますがね。
ですから本当に、何はなくとも家庭がこうやって和賀心を目指しておるということが、有り難いというようなね、ここに言うておられます。先ほどあの夕食終わってから泰子が、矢次さんのところの霊祭を楽の御用を頂きましたから、そのあとの教話を頂かしてもろうてから、もう私はすぐ思うた、私ならば、母が元気であるということ、もうこれが???。しきりに申しますもん。泰子ちゃんがねーっち言うてから。
もうそれが信心の根本になるとよち。ね、だからその母が段々もっともっと大きな親にかわっていかなきゃならんけれどもね、「元日やなにはなくと母元気」なんて素晴らしいことじゃろうね。と話たことですけれどもね、そういう信心がやはり基礎基本。もう土台になるとですよね。そしていよいよ子孫繁盛の元といったようなものが、できていくのですよね。元を間違えると、だんだん間違っていくんですよね。
まぁ色々におかげ頂いて、今日は家内が1時の御祈念にお礼に出て参りましたから、丁度こちら来る前に、主治医の先生の回診があってから、このままやったら来週は退院ができるかもしれん、というていうて下さったと家内が、例えその来週退院ができるできんは別としてね。別としてあの丁度満願の日、今日のことを聞かして頂くと言う事有難いと言うて、えらい感激してそのことをお届けしておりました。
ほんに今、まぁ先ほども言っておりますけど、長瀬さんの時計があったんですけれども、昨日一日、夜の御祈念だけは幹三郎さんのためにというてお参りさせて頂いておるのを、昨日ちょっと御無礼してお参りしなかった。さあ夕食ということになったら、夕食をだんになったら電池が切れた。まぁそれからも次々とまあ、あったなかに、その洗濯機がどっか水が詰まってから、こちらの四畳のあの畳の上にまで水がザブンと。
もう次々とお気付けを頂いた。まぁ凄まじいまでの、神様のお気付けだと。御主人がほれ見れお前が一晩御無礼したけん、こげんなお気付けを頂きよるぞと言われてから。もう、今晩おかげ頂きましたと言うておられるが、そういうね、それはそのお気付けも素晴らしいんですけれども、目に見えない広い範囲に、より子孫繁盛、家繁盛、十何代までも、例えば柿右衛門のところが。
繁盛の道をたどっているような、おかげを頂くためには、目に見えないところに、どのくらいその凄まじい働きが、ありよるか分からんと私が、もうこれは絶対のことなんですよ。それがならたとえばおかげの場合は目に見えませんけれどもですね、ね、例えば間違えたら、さぁそういうおかげの土台が崩れるから、神様がそんなに凄まじいまでに働きをして見せてくださるということが、ありがたいじゃないですかね。
どうぞひとつ?